生活しづらくなった都内から、気持ちよく暮らせる吉備中央町へ
小学校1年生のお子さんと共に移住した新井貴子さん。
2022年春に、東京から吉備高原都市へ。
自身の思い描く子育てと仕事の両立をしたいとこの町にやってこられました。
都内で暮らしていた時と比べものにならないほど、精神的に解放されたと笑顔で語る新井さん。
どんな想いで移住を決められたのか、お話を伺って来ました。
コロナが後押しし、東京から離れた場所で仕事できるようになった
Q(imakibi):
移住しようと思ったきっかけを教えてください。
A (新井さん):
もともと私は広告代理店で働いていたのですが、子どもの出産を機に退職。その後、子育てをしながら「100人いれば100通りの働き方ができる」を掲げたリモートでのバックオフィス業務を担う会社を立ち上げたのですが、とにかく都内での生活のしづらさを感じていました。
そんな最中、素晴らしい林業家との出会いがあり、自分の暮らしている地球のこと、自然環境について考え直させるきっかけをいただきました。
未来のことを考え、子どもが小学校に上がるタイミングで山か海に引っ越しをしようと情報収集を開始。
そうしたら、コロナで外に出る事が出来なくなり、リモートワークが一般的に。お客様との商談や契約において対面で対応をする必要が完全になくなりました。そもそもで自身がリモートワークの会社を経営していること等含め、全てが重なって、東京から離れた場所でも仕事も生活もできる環境となり、目論見通り移住が出来ました。
Q : 山か海に引っ越しっていいですね。 実際に子育て環境はどうですか?
A :
山・川・海の大循環を、机上ではなく「観察する」機会に恵まれていて日々充実しています。
海と川の環境を健全にしていくには山が状態が大きく影響をする。
山の中の酸素がたりていないから崩れてしまうこと、山から海にかけて地中の水が動いていれば海底湧水がでるから海がきれいになること。このような話を私は机上でしか知りえませんでしたが、肌で感じている方に出会える事は本当に収穫です。
東京時代は、公園しか体を動かして遊べる場所がなく、行ったとしても密状態。ボール遊びはダメ。凧揚げもダメ。縄跳びしようとしたら、誰かにあたる。そんな環境でした。そもそも、公園に行くまでに大きな道路があって、子どもだけで行くには危ない箇所がたくさん。
この町に来たら、公園に行くまでもなく思いっきり遊べる環境があり、草むらにはちゃんと蛇がいて、朝起きて外を眺めてみると、猪や鹿の痕跡があり。
甘柿でさえ、動物に食べきられる事もなく、腐って落ちるまで木に残っている。焚火でお芋やミカン、リンゴを焼き、バームクーヘンも作っちゃう休日の午後。
カナヘビと共に登校して、カナヘビと共に下校が出来る。 環境は移住前の想像をはるかに上回っています。
Q : 移り住む場所を考える上で大事にしたポイントはなんですか?
A :
私の場合は、東京からのアクセス、有事の際の交通手段の確保、上下水道、小学校から徒歩で通える家と、家から近い場所に登記ができるオフィスがある事がポイントでした。
実は、この町以外にも沖縄と徳島への移住を検討していたんです。
ただ、沖縄は、台湾をめぐる有事が起きる可能性がある、本州への帰路が立てれてしまうと行き来が難しくなることが予想されたため、今回の移住先から外しました。
また、徳島県は大きな島でもあるもで、橋に問題が起きた場合に本州へ行きづらくなる事。太平洋側で大規模な地震が予想されている事、徳島空港が移住予定地から距離があり断念。
私のような東京からの移住者にとって、この町のアクセス、有事の際に交通手段の確保ができることはかなり魅力です。
コミュニティでに恵まれ、快適な吉備中央町での暮らし
Q : 実際に移住してみての感想を教えてください。
A:
快適です。本当に。
不便な所は、今までと比べればありますが、それを上回る快適があります。
私が住んでいる場所のご近所の方々や、小学校の同級生たちとその親御さんたちという存在に恵まれたのだと思っています。
Q: 移住した当初、意外だったエピソード等ありますか?
A:
いくつもあるので、五月雨式に。
まず、移住して2カ月間ほどは、夜の9時になると眠くなりました。そして、約2カ月たった時に、全身が一回り位おおきくなるくらいの湿疹が3日ほど出ました。
その後からは、快適に暮らせています。
水が変わり、夜の暗さや静けさにようやく慣れたのだと感じています。
移住初日の話なのですが、隣に住む子どもたちが直ぐ脇の草むらで”つくし”を収穫していたんです。
子ども同士で意気投合し、我が家の子どもも楽しく収穫をお手伝いしていました。
その夜、ピンポーンとなったので玄関に行ったところ、甘辛く煮付けられたつくしと、おいしそうな天ぷらになったつくしを持ってきてくれました。
近所同士でおかずを交換するという経験がなく、しかも、収穫したての素材を使う事が日常的にある事に衝撃でした。
その後は、ご近所の方から自然農のお野菜や竹の子、自分の山で取れた松茸を頂く事もあり、その度に衝撃が走っています。
あと、綿花から種を取る事も、あんなに大変なことだとは思いませんでした、、、、
それから、小学校にエグいじめが無い事。奇跡の小学校だと思っています。
小人数とはいえ、人間関係がある場合は起きてしまうのだろうと思っていましたが、以前住んでいたところで耳にする恐ろしい状況は、まったくなさそうです。
少し違う角度の話をすると、役場との距離が非常に近い事にも驚いています。
役場や教育委員会の方々は、だれかの親戚だったり誰かの同級生だったり。首長と話そうと思ったら、イベントなどで声をかける事が出来る環境だったり。
それがデメリットにもなるという所も階居間見えますが、大きなメリットだと感じています。
東京時代は40万人が生活する区に住んでいたため、区長は実際に見かける事もないし、区議は知らない人ばかり。区役所に知り合いなんて一人もいない。それくらい遠い場所だったのだと知る事も出来ました。
吉備中央町に移住、地元の小学校に通い、地元の子どもたち向けの習い事を始めると、町内の小学生ネットワークがひろがり、それぞれの小学校に知った顔がいるという状態になりました。驚きしかありません。
Q:最後に、これから移住を考えている方にアドバイス等ありましたら教えてください。
A:
私は、3年ほどかけて移住先を決めましたが、どの移住候補地も引き入れてくれる地元の方とのコミュニケーションをとりました。
交通の便が無い場所への移住は、地元の方とのネットワークとコミュニケーションが無ければ、難しい事もあると思っています。
私の場合は教育移住の文脈で移住先を探しており、「小学校から徒歩で通える家があること」そして、「家から近い場所に登記ができるオフィスがあること」の2つが条件でした。
そのため、狙い撃ちで住む場所のエリアなども決めていけましたし、「吉備高原小学校に入れたい」という目的が明確になった後、迷う事もブレる事もなく、順調に進んでいったという事も感じています。
正直な話をすると、教育移住にはまだ足りない部分もありますが、小規模小学校ならではの特徴で、保護者によるフォローがやりやすい環境でもあります。そこは、親次第だと感じています。
山があって、遊べる川があって、1時間半くらい運転すると、美しい日本海のビーチを独り占めできて。圧倒的な自然が子どもを育ててくれる環境は整っていますし、東京へのアクセスは問題なし。 選んで良かったと心から言える移住先です。
教育移住をお考えの方は是非一度足を運んでみてください。
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新井さん、ご協力いただきありがとうございました!
自身の目的が明確だからこそ「迷う事もブレる事もなく、順調に進んだ」とおっしゃる新井さんがとても印象的でした。
リモートワークで会社を経営されながらも、自然を感じながらお子さんと一緒に過ごせる時間を大切にする新しい暮らしの実践者。この町だからこそ実現できるライフスタイルともいえます。
吉備高原都市は、安心・安全な土地で、子育てしたい、リモートワークで働きたいご家族に魅力的な条件が揃っています。
ご興味のある方は、ぜひチェックしてください。
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